それってどうよ!-ARCHIVE:2017年5月

それってどうよ!

《 日々の由無し事から世界情勢まで、感想や思いの備忘録 》

《 2017年5月 》

「原発」と言う代物はいつまで使い続けるのか - 2

 原発に関連する検索をしていた時に見かけたサイトです。小出 裕章氏については色々批判もあるようですが、原発
について考えるのに、一読して損はないと思います。
 小出氏については、⇒小出 裕章:Wikipediaを参照して下さい。

 

 るいネット:原発がなくても電力は足りるという事実

 原発がなくても電力は足りるという事実を、 ネット環境のない人達にも知ってもらいたく、資料を作りまし
た。小出助教には4月中旬に許可を取ってあります。

原発がなくても、電力は足りる。
「原発には反対だけれど、原発を廃止したら、日本はやっていけない」
と考えている方たちに、読んで頂きたいです。
 京都大学原子炉実験所、小出裕章氏の客観的なデータに基づいた主張をもとに、一市民の立場から編
集した資料です。 小出裕章氏は、次世代エネルギーに希望を抱いて原子力工学の道に入りましたが、原
子力発電の持つあまりに大きい不利益に鑑み、以来40年間「原子力発電をやめることに役立つ研究」をさ
れている学者です。この資料を読み終えたら他の人に渡してあげてください。

1、水力と火力で十分まかなえる
 日本では、 全発電量の約3割を原子力発電が担っているとされ、原子力が不可欠のように考えられてき
ました。 しかし、水力、火力、原子力、共に言えることですが、発電所をフル稼働した場合の発電量と、実
際の発電量には、かなりの開きがあります。 というのも、発電所設備自体が過剰とも言える状態で、年間
の発電設備利用率は、 水力19%、火力50% (2008年度)であり、 まだまだ発電能力には余力のある状態と
なっているからです。 つまり、 原子力発電をやめたとしても、水力、火力発電で十分補っていくことが可能
なのです。 私たちが一般的に聞かされている「全発電量約3割を原子 力発電が担っている」という情報は
、実際の発電量の割合のことを言っているので、そのことが「原発は廃止出来ない」等の誤解を生む原因
になっているようです。

2、真夏の昼間にも水力と火力でまかなえる電気というのは貯めておくことが難しいので、一番需要が高い
時に合わせて、発電設備を備える必要があります。 この観点からも、原子力は不可欠であるとされてきま
した。しかし、過去50年間の最大需要電力量の推移を見てみると、1990年代の一時期の例外を除いて、
水力と火力でまかなうことができているということが分かります。しかも、この一番電力の需要が高い時間
帯というのは、 真夏の数日の午後のたった数時間という極めて特殊な時間帯のことなのです。 一年の内
のたったこれだけの時間に備えるために、危険な原子力発電設備を抱えるというのはあまりにリスクが大
きいと言えます。大口需要家に対し生産調整を依頼するなどの方法で節電していくほうが遥かに効率的で
す。

3、それでも電力会社が原発にこだわる理由
 一言でいえば、原発は儲かるからです。
電力会社が得る利潤とは、 電気事業法により次の式によって算出されるとされ手厚く保護されています。
 利潤 = レートベース × 報酬率(%)
この式におけるレートベースとは、電力会社の資産のことで、資産が多ければ多いほど、利潤も多くなると
いう仕組みになっています。 高額な建設費のかかった原子力発電所(建設中も含む)、都市部までの長距
離送変電設備、膨大な核燃料の備蓄施設、ウラン濃縮工場、再処理工場など、多岐にわたる原発関連施
設が資産となり、さらには研究開発費などの特定投資もレートベースとして計上され、利潤を膨らませてい
ます。つまり、原発を増やせば増やすほど、電力会社は儲かるのです。

4、原子力発電はコストが高い
 政府発表の発電コストによると、原子力発電が一番安価であると言われてきました。 しかし、これはある
モデルを想定して計算した結果であって、実際にかかったコストではありません。 立命館大学国際関係学
部の大島堅一氏が、エネルギー政策としての見地から、原子力発電の過去40年間の商用運転で、実際に
かかったコストを算出したデータを公表しています。
 これによると、水力火力よりも、原子力が高コストであることが分かります。 しかも、揚水発電を含めると
、さらにコストが跳ね上がっています。 揚水発電とは、出力調整の難しい原子力発電の夜間に余った電力
を使うために考えられたもので 、約3割ものエネルギーをロスしてしまう非効率な発電方法なのです。 しか
し原子力発電を選択する以上、 この非効率な揚水発電がついてまわるので、 原子力発電のさらなる高コ
スト化に拍車をかけているのです。 結果として、この高いコストは、前述した原発の生み出す利潤も重なっ
て、電気料金の高騰を招いています。そして、諸外国に比べて著しく高い日本の電気料金は、産業界の競
争力までもを奪っているのです。
 経済性という観点から、メリットはありません。 安全性という観点からは、もう言うまでもありません。この
先、持ち続ける理由はありません。

 福島第一原発半径20キロ圏内、計画的避難区域、 緊急時避難準備区域、にお住まいの10万人以上の
方たちが将来の不安を抱え続けなければならない状況になっています。 この方たちを目の前にして、 「そ
れでも原発は必要だ」と言えるでしょうか。 確固たる信念を持って言えるのならしかたがありませんが、 そ
れが無関心から出た言葉であってはならないと思います。現実を注視して、明確に答えを出すべき時が来
ています。 電力会社が大スポンサーとなっているマスメディアが事実を報道する可能性は残念ながら低い
ようです。個人レベルで情報を集め、自分の価値観を持って発信していく側になりましょう!

(2017/5/18)

 



 

「原発」と言う代物はいつまで使い続けるのか - 1

《原子力発電のメリット》

①発電量当たりの単価が安いので、経済性が高い。
②安定して大量の電力を供給できる。
③燃料の供給が安定している。
④発電時に地球温暖化の原因となる温室効果ガスを排出しない、酸性雨や光化学スモッグなどといった大気汚染の
  原因となる酸化物を排出しない。
⑤技術力の高さの証明になる。
⑥補助金等により、原子力発電所の周辺地域が経済的に潤う。

《原子力発電のデメリット》

①放射線を発生するため厳しい管理が必要。
②毒性のある放射性廃棄物が発生する。
③発電停止から廃炉解体が完了するまでに時間がかかる。
④事故が起きて周辺地域に多大な被害を与える恐れがある、また、放射線が外部に流出すると、人間が発電所に近
  づくのが難しくなるため、故障箇所の修復が困難となってしまう。

以上、原発のメリット・デメリットをざっと挙げてみた。ただし、「経済性が高い」と言うのは、現在問題になってきている
「使用済み核燃料」いわゆる「核のゴミ」の処理 ・ 処分費を考慮した場合該当するのか、また東日本大震災での福島
第一原子力発電所事故の様な事故が起こった場合、とても「経済性が高い」などとは言えないだろう。メリットとしてい
る⑤⑥もメリットと言えるだろうか。 自然界には希薄な状態でしか存在しない放射性物質を濃縮した「核物質」を燃料
に使っている以上、「安全性が高い」とはとても言えないのではないか。 世界では原発が増加しているので、メリットと
されている③もいつまで続くかは分からない。

●福島第一原子力発電所事故
 2011年(平成23年)3月11日14時46分に発生した東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)、 この震災によって福
島第一原子力発電所事故が起こった。発生した日付から3.11(さんてんいちいち、さんいちいち)とも称される。
 地震から約1時間後に高さ14~15mの津波に襲われた福島第一原子力発電所は、1~5号機で全交流電源を喪失。
原子炉を冷却できなくなり、1号炉・2号炉・3号炉で炉心溶融(メルトダウン)が発生。大量の放射性物質の漏洩を伴う
重大な原子力事故に発展した。 この事故は国際原子力事象評価尺度(INES)で最悪のレベル7、 1986年4月26日1時
23分に発生した、チェルノブイリ原子力発電所事故と同レベルとされている。 立地する福島県浜通り地方を中心に、
周辺一帯の住民の避難は長期化し、2012年からは「帰還困難区域」「居住制限区域」も設定された。2015年(平成27
年)3月時点で、炉内燃料のほぼ全量が溶解している。

 

福島第一原発、画像
福島第一原発

 

●世界の趨勢
 福島第1原発事故や高速増殖原型炉もんじゅの廃炉で、強い逆風が吹く日本の原発。ただ世界では450基が運転
可能でその内439基が運転中。日本にある原発は世界3位の42基で、小さな島国の日本1国に世界の原発の約10%
が集中していることになる。 安全面で反対の声はあるものの、ドイツなど「脱原発」は少数派だ。対照的に、エネルギ
ー需要が急増する新興国では新増設が相次いでいる。 この根底には、ある種の原発に対する安全神話があるよう
で、 原発が実用化されて以来大きな事故は1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故と2011年の福島第一原子力
発電所事故だけとされているからの様だ。1979年のスリーマイル島原子力発電所事故は、事故レベルが「5」とされて
いるためカウントしないようだが、3.11の福島第一原発事故で分かった様に、原発でひとたび甚大な事故が起これば、
住民の健康や居住に大きな影響を与え不幸の底に陥れる意味で極めて危険なものだと考えられる。

【スリーマイル島原子力発電所事故(英: Three Mile Island accident)】
 1979年3月28日、アメリカ合衆国東北部ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で発生した重大な原子力
事故。スリーマイル島 (Three Mile Island) の頭文字をとってTMI事故とも略称される。 原子炉冷却材喪失事故 (Loss
Of Coolant Accident, LOCA)に分類され、想定された事故の規模を上回る過酷事故 (Severe Accident) である。国際
原子力事象評価尺度においてレベル5の事例である。

世界の原発分布、画像

 

 もうすっかり忘れられた様な感のあるチェルノブイリ原子力発電所事故、 この事故によって『旧ソ連の穀倉地帯』だ
ったウクライナの農業はいっぺんにダメにされてしまった。 チェルノブイリ事故による放射能汚染により、 かつての同
国の主要な輸出品目だった『農産物』は2010年には全体の7.7%に過ぎなくなっている。そして、最大の輸出品目は『鉄
鋼金属製品』(33.3%)となっている。 ウクライナにおける原発をめぐる情勢は、世界の原発を巡る情勢の縮図でもあ
る。 「お金持ちの国だけが脱原発を議論できる」(2011年3月福島第1原発事故後の現ウクライナ首相、ミコラ ・ アザ
ロフのコメント)とは決してウクライナだけに当てはまる形容ではない。 日本の、 たとえば福井県おおい町にも、青森
県大間町にも、山口県上関町にも、世界中の原発立地地域のどこにでも当てはまる言葉である。 余りにも原発に依
存すると、そこから抜け出すのが大変である。

●使用済み核燃料の処分
 使用済み核燃料とは、 ある期間原子炉内で使用したのちに取り出した核燃料を言い、日本では低濃縮ウランを核
燃料として軽水炉で使用した後のものを指す。 使用済み核燃料には超寿命核種である超ウラン核種や大量の核分
裂生成物などが含まれており、その危険性と処理の困難さのため、その処理 ・ 処分が世界的な問題となっている。
なぜなら、最終処分地で長い時間をかけ貯蔵するしかなく、放射能の危険性がなくなるまでの期間が10万年を要する
からである。
 現在有力な処分方法は「地層処分(ちそうしょぶん)」と言われ、放射性物質の濃度が高く、半減期の長い放射性物
質を含むため、人が触れるおそれのない深部地下に埋設しようとする方法である。 日本では、地震や火山噴火等に
耐える強固な地下施設でなくてはならず、 地下水にも汚染がないよう地下300mの箇所に多重バリアを引いて処理す
る手法が提示されている。ヨーロッパ各国では地層処分施設の管理期間を10万年、アメリカは管理期間を当初1万年
としていたが、2009年には管理期間を100万年に変更した。

【放射能の経年変化】
 日本で計画されているステンレス製のキャニスター1本のガラス固化体(正味体積150リットル、正味重量約400kg)
の放射能は約4x1015ベクレル(最大4.5x1016ベクレル)で、50年(一次冷却保管)後に半減、100年後に1/10、1000年
後に1/400、1万年後に1/2000、10万年後に1/6000の約7x1011ベクレル、100万年後に1万分の1の約3.5x1011ベクレ
ル、5000万年後に5百万分の1、10兆年後に5.5x108ベクレルへと減少していくとされる(おおよその数値)。簡単に言え
ば、ガラス固化後の高レベ射性廃棄物がウラン鉱石と同じ放射能レベルになるには長期間かかるという事。
※ベクレル:放射性物質が放射線を出す能力を表す単位。

 この事からも解るように、ヒトが存在しているかどうか分からない、またその時点で現在と同じままの地形かどうかも
分からない程の年月の先の事を一体誰が保証するのか。 とても人間にコントロール仕切れない様な物質を燃料にし
ている事自体が間違っているのではないだろうか。

 福島第一原子力発電所事故後、他の全ての稼働中であった原子力発電所が、その後の定期検査に伴う稼働停止
以降、猶予期間もなく新規制基準に適合していると認められなければ再稼働ができない状況になっている。 が、日本
の原発は全て福島原発の様に海岸に建造されている(最大の理由は冷却水が簡単に手に入れられるため)ので、い
つ何時福島と同様の事故が起こらないとも限らない。
 原発再稼働に関する最も大きな課題は、安全性の確保。いわゆる安全神話、つまり重大な事故は起こり得ないとい
うことは誤りだということは最早明白である。ところが、福島第一原発の事故の前後で安全規制の考え方がどのように
変化したのか、また誰が責任を持って安全を確保するのかといった点について、政府及び原子力規制委員会や電力
会社の説明がまだ十分だとは言えない。 ゼロリスクはないという事を当然の事として、事故の発生確率とその事故が
起こった際の汚染などの影響を、全体で最小化するという考え方が世界標準である。

 どうも世界的にはまだまだ増えそうな「原発」であるが、当然ながら核のゴミも増える訳で、事故の問題も含めゴミの
処理に関してもどういう風に考えているのかが見えて来ない。 余談になるが、アメリカ等が日本に原発を薦めた理由
に、使用済み核燃料の再処理・処分場にしようとしたという説があり、原発の実用化直後からゆくゆくは問題になる事
が予想されていたようである。また、日本が原発を国策で推進した理由の1つに、将来的に核兵器を保持する事を視
野に入れていたという説もある。両説とも真偽の方は定かではない。

(2017/5/13)

 



 

只々不毛な「慰安婦問題」

 何かしら日韓間で問題が起こると持ち出される「慰安婦問題」、持ち出すのは韓国側ですが結論から言えば、もうこ
の問題に関しては特に韓国は「終結」した方が良いでしょう。

 理由は、日本はどうであれ、韓国は騒げば騒ぐほどみっともなく映るためです。 元々この「(従軍)慰安婦問題」、火
付け役と言うか言い出しっぺは日本であって、放っておけば虚実ない交ぜの戦時中の話しとして日本国内で終わって
いたのが韓国などへ飛び火したという事でしょう。概略、1973年発行の、元毎日新聞記者千田夏光氏の著作『従軍慰
安婦』、1980年代に特に朝日新聞に真実として取り上げられた吉田清治氏の証言、この2つが大きな引き金になり国
際問題化してしまった訳です。 「従軍慰安婦」という言葉も、 千田氏が著書の中で初めて使ったとされ、「軍令で朝鮮
人女性を強制連行(「慰安婦狩り」」したというのは吉田氏の「告白」中に出てきたものです。
(中立的な)詳細は⇒Wikipedia「慰安婦」

 朝鮮当時の併合の悔しさや、 色々な意味で何とか日本に意趣返ししたかった韓国にとっては都合が良かったので
しょうが、フィクションや虚偽 ・ 出鱈目の入り混じった話しに乗ってしまって世界各地に「慰安婦像」を設置するまでに
至ってしまうと、韓国自身が恥ずかしくはないだろうか。 恐らく対外的には何の益も無いと思われ、またあの像が、本
当に不本意ながら「慰安婦」として生活しなければならなかった女性の気持ちを癒すことになるのかどうかも疑問であ
る。 更に言えば、国家が他国のメディア等の情報をそのまま裏も取らずに信用するのもちょっと神経を疑われるだろ
う。

慰安婦像、画像
慰安婦像

 仮にこの問題が事実であったとすれば、当時の朝鮮は国家として何も出来なかったのか、また、周りの特に「男性」
達は、 ただ手を拱いて黙って見ていただけなのかという自戒を問われる問題となる可能性も出てくる。 現在の「大韓・・
民国・・」が真に近代国家として、 また大人の国家として立とうとするのであれば、「慰安婦像」は撤去された方が良いの
ではないか。

(2017/5/10)

 



 

「京都ラーメン店差別発言」報道

 ゴールデンウィークの最中、あちらこちらで報道された京都市内のあるラーメン店での出来事。韓国人の俳優(ある
TV局の番組ではユーチューバー(You Tuber)と言われていましたが、 大方の報道に倣って「俳優」とします。)が店に
入ろうとしたところ、店内にいた客に「ファッキン コリアン」等と言われ入れなかったそうです。この発言はともかくとし
て、個人的にはこれは報道すべきものなのかと言うのが率直な印象でした。別に「差別発言」を肯定する訳でもなく、
見過ごせば良いと考える訳でもないんですが、報道のお陰で舞台となったラーメン店にいわれのない批判が殺到(主
にSNS上)、店主が困ってしまって休業されています。批判をされるとすればこの発言者の客でしょうし、報道によって
大騒ぎになってしまった感は否めないですね。

 最近では「ヘイトスピーチ」に対しての対策法が出来たり(ただし、罰則や禁止規定は無い)もし、「差別」に対して厳
しく見られる様になって来たようですが、とても難しい問題です。「差別」については、長くなりますが以下の「日本大百
科全書(ニッポニカ) 」
の解説(鈴木 二郎氏による)が詳しいので引用させて頂きます。

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『差別』(さべつ、discrimination)

 差異や種類別によって分けることが区別(distinction)であるが、これをもっと狭く限定した概念が差別で
ある。 しかし現在、差別とはなんであるかという定義がまちまちであり、多くの場合、たとえば法律の分野
においてさえも、差別と区別は使い分けられていない。 この結果、反差別運動において差別という概念が
恣意(しい)的に用いられ、 運動が情緒に流れやすいのも無理はない。 こうした混乱はしばしば極度の緊
張をもたらすが、 同時に、差し迫った差別の解消、社会的関心の喚起、および差別理論の解明などを促
進する側面をももっている。以上を踏まえて、ここでは差別を次のように規定する。

・差別とは何か

 人間は生まれながら心身両面にわたってきわめて大きな可能性を潜在的にもっており、 この可能性を
自ら伸ばそうとするのは、人間の本性である。こうした可能性を実態化することによって、より有利な条件
を獲得しようとする個人または集団の行為を、その個人または集団に付随する特性、または架空につくら
れた特性に基づいて他者が阻止する行為、これが差別である。
 こうして、差別のよりどころないし口実とされる特性には、 自然的カテゴリーとして、性、年齢、身体的特
徴ないし人種、心身障害などがあり、社会的 ・ 歴史的カテゴリーとして、出自、民族、国籍、身分、宗教、
言語、社会的地位、貧富、職業、学歴、思想などがある。 この両カテゴリーは分析的には区別されるが、
たとえば障害者差別や人種差別にみられるように、自然的カテゴリーは、それが現実の歴史的社会に作
用するときには、社会的 ・ 歴史的カテゴリーとして機能している。また実在しないにもかかわらず、たとえ
ば特定集団の残虐性、 犯罪性、 劣等な知能というような形で、架空に、しばしば政治的につくられるカテ
ゴリーがあり、これがときには生命や生存を脅かす重大な差別に通じている。こうした差別の仕組みを女
性とユダヤ人についてみるならば、その大部分は個人の資質や能力とは無関係に、ただ女性でありユダ
ヤ人であるというだけの理由で、生存、教育、結婚、就職、政治参加などに関する諸権利を制限ないし剥
奪(はくだつ)され、男性や非ユダヤ人に比べて不利益な扱いを受けるのである。

・差別の形態と構造

 差別の種類は、個人が個人を口頭でからかうものから、公共施設やホテルの利用、交際、居住、結婚、
選挙権の制限、および集団が集団を殺害するジェノサイド(genocide)に至るまで、非常に多い。分類の仕
方、または程度の違いに応じて、差別はほとんど無数に存在する。差別の多くは現象的には私人間の私
的な行為に示されるが、こうした私的な差別も基本的には、社会的威圧、道徳、法律などに制度化されて
いる差別と結び付いている。一般に、個々の諸差別の間には連鎖的なつながりがあるが、その関係は平
面的につながっているだけではなく、重層的に重なり合って、一つの集団ないし社会を構成している。すな
わち、 個人であれ集団であれ、人は普通、ある面では差別する立場にあり、同時に別の面では差別され
る立場にたっている。 しかもこの差別・被差別の関係は状況に対応して変わっていく。 たとえば在米日系
人の男性の多くが、 白人から差別されると同時に、女性、とくに同じ日系人の女性や、在米の東南アジア
人ないし黒人を差別するというように。 したがって、個人または集団を差別者 ・ 被差別者という単純な二
項対立で固定的にとらえるのは一面的な見方である。
 こうして複雑に絡み合っている諸差別の間に重要度の違いはあるのかどうか。 これについては、差別さ
れる当事者による解決への要求度、および、当該社会の構成員が解決の緊急性について下す一定の選
択と決定を通して、特定の差別の解決が重要だとされるのは当然である。しかしその重要度は歴史的、
相対的なものであって、個々の差別それ自体の間には本質的には重要度の違いはない。いかなる差別も
、人間の尊厳さの否定、ひいては人間存在の否定という点において、本質的に同じだからである。
 次に諸差別間の関係を構造的にはどのようにとらえることができるか。諸差別のなかで本質的な差別は
階級的差別であり、他の差別は副次的差別として階級的差別を維持し補強する役割を演じている、という
見解については、多くの議論が交わされている。確かに階級社会では階級関係に基づく差別、すなわち階
級的差別は諸差別のなかで中心的な役割を演じている。しかし、言語、宗教、民族などは階級関係との間
に相対的な自律性を保ち、これらをめぐる差別は階級的差別によって全面的に規制されるものではない。
さらに人類史の99%以上を占めていた無階級状態を保っているのが現存の未開社会であって、 ここには
、さまざまな差別はあるが、階級的差別はない。 階級にかわるものは共同体ないし共同社会の社会組織
である。これらの理由から、階級的差別を諸差別の本質だとする見解は、事実に反し、科学的ではない。

・差別を不当とする潮流

 前述のとおり、 人間のもつ可能性を他者が阻止する行為が差別であるが、そこには普通、阻止しようと
する他者の意図が働いている。 しかしそうした意図が自覚されていない場合にも差別は成立する。たとえ
ば、 制度化した差別が強固な社会では、差別は日常化し、この状態が繰り返されるなかで、 差別は大部
分の人にとって意識されなくなる。日本における天皇・皇族・華族・士族・平民の系列に起因する身分差別
は、かつては多くの人にとって差別として意識されなかったのである。
 差別が多くの人によって、今日理解されている内容のものとして意識され、不当なものだと自覚されるよ
うになったのは、 人間平等および基本的人権の原理が歴史の舞台で重要な働きをするようになった近世
以降のことである。 それ以降、ようやく差別をなくそうとする新しい潮流が生まれた。 この潮流は今日、き
わめて不十分な内容ではあるが、 国際的には国連憲章、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約などに
反映し、各国の基本法や個別法にも反映している。 とくに日本国憲法をはじめとして多くの国々の基本的
人権に関する法律条項には、 少なくともたてまえとしては差別を不条理とする態度が明示されている。 日
本の地域改善対策特別措置法(1982)、イギリスの人種関係法(1965、68、76)、アメリカの公民権法(195
7、60、64、65)などの個別法は、 実施面での抜け穴をたくさんもってはいるが、一定の効果をあげている
。これらに先んじて、ソ連(現ロシア連邦)、中国などの少数民族政策やインドの不可触民優遇政策が、自
由の原理については大きな弱点をもつとはいえ、平等の原理と差別解消を一貫して追求している。
 これらの制度に基づくさまざまな行政措置は、古くからの歴史的潮流を逆転させようとするものである。
その意味で、被差別者の不利な状態を改善するために被差別者を優遇する積極行動(affirmative action
)は、 逆差別(reverse discrimination)ないし積極的差別(positive discrimination)ともよばれる。 逆差別と
いう用語は、 日本では諸外国と違って、行きすぎた優遇措置という意味で使われている。 このように被差
別という点から特定の個人ないし集団を選別して優遇することと、 これによって不利益を被る者に対して
も法的に保障されているはずの平等原理との間に矛盾があるとして、これをどのように調整するかが最近
大きな問題になっている。 これは理論上の問題にとどまらず、 アメリカで頻発している法廷闘争では、 諸
判決が揺れ動いている。
 今日、差別解消の潮流はすでに逆流しえない状況になっている。しかし、制度上の改善の効果は不十分
ながらあげられているが、 私人間の差別解消の歩みはそれよりもはるかに遅れている。 いまはまだ問題
の全面的解決の見通しをたてることはできない。

 

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 個人的には、「差別」と言う「考え方」や「意識」は近代以降のものであるとして、微妙に絡んでくる「区別」は恐らくヒ
トの歴史と共に在ったと思います。何故ならヒトも動物であり、本能的に自分や自分の集団と違うものに対して「異質
なもの」として認識し対応したと思われるからです。 旧人(ネアンデルタール人)が滅びた1つの理由として、新人(ホ
モサピエンス)による殺戮説があるらしいですが、 全くのデタラメとも思えません。 現在でも、ヒトは自分達とは違うと
見做す個人・集団・民族・国家に対して本当に悲しく恐ろしい事ですが、相当残虐な事を平気で行います。一昔前の、
ナチスによるユダヤ人のホロコースト(ユダヤ人に対する大量虐殺)等、 自分が被差別者だとしたらどんな恐怖を感
じただろうと想像もつきませんが、歴史的には民族や特定集団に対するジェノサイド(ここでは「大量虐殺」としての意
味で使用しています)は特別な事ではありません。ヒトは、自分達で定義付けしたり自負するように他の動物とは違い
「理性」を持つものとしています。 現在の様な「差別」という言葉や定義が無かった昔でも、 「そのような言動をしては
ダメだ。」と考えるヒトも多かったに違いないでしょう。 そしてそのことは、映画や小説の中だけでなく史実上にも存在
しています。

 さて、 現代の「差別」に対してはどういう対応を取るかですが、 被差別者が生活上何らかの支障や実害を被る、危
害が及ぶあるいは生命に係る様な状態になる事は、これは法的に厳しく止めることは極めて当然の事だと思います。
特に権力が行う場合は、被差別者がほぼ弱者であることを考えても、とても許されるべきではないでしょう。ただし 、
残念ながら日本でも1997年に廃止された(北海道)旧土人保護法や1993年に廃止された「らい予防法」( 1907年「癩
(らい)予防ニ関スル件」制定、 1931年「癩予防法」に名称変更、1953年新たに「らい予防法」制定、「癩(ら い)病」:
現代では「ハンセン病」と呼称されますが、 厳密には癩(らい)病にはハンセン病以外の疾患も含まれます)の様な国
家が制定した法律がありました。 「旧土人」とはアイヌの人々の事ですが、れっきとした日本列島の先住民ですし、「
癩(らい)病」関連の法の元行われた患者の方々への仕打ちは、こういう事を「筆舌に尽くし難い」と言うのでしょう、相
当酷かったそうです。

 翻って冒頭の報道の件ですが、現実に「○○だから付き合えない。」「××だから結婚できない。」など今現在でも耳
にする話ですし、ある個人の考えや人間性にまで法律が踏み込んで規制することは無理でしょう。 いくら啓蒙や教育
を行ったとしても、このような個人がいなくなることは無いと思われます。 考え方や思想で言っているとは限らないこと
もあり、対処方法としては軽く受け流す・無視する、後は余程悪質な場合「名誉棄損」で訴える事が出来るくらいでしょ
うか。

(2017/5/5)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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